2013年5月15日水曜日

多少高くても市内業者から調達すべきか?

コメントいただきました。
(以下引用)

随意契約ではないのですが、契約関係なのでこちらに書きます。

若林議員は市役所が何か物を買ったり、委託を行うときに、『多少高くても市内業者』と『とても安い市外業者』のどちらと契約を結ぶのが良いと思いますか?

臼杵にも業者はあるけど、零細なため価格競争では市外業者に負けてしまうという様な例は多くあるとおもいます。

不躾な質問で申し訳ありません。

-------引用ここまで

「多少高くても市内業者」と契約するべきと考えます。

ただし、「多少」がどの範囲かは常に悩ましい問題です。

多少高い買物になっても、臼杵市内に利益が残り、それが回りまわって市民の利益になる。その利益の方が大きいという考え方ができる範囲でしょう。そのことについては常に市役所も頭を悩ませながら買物をしていると思います。

4 件のコメント:

  1. 「多少高くても市内業者」と契約するべきと考えます。についてですが、
    昔の職員の方々はよく理解していたと思いますが、
    今の職員の方々は理解していません。
    今後は職員も「とても安い優秀な市外者」を入札してみては!

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    1. 昔に比べて、広範囲から情報が得られる状況にありますし、運搬も容易になり、市外業者を利用するという選択肢は増えてきているように思います。また、価格差も大きくなってきているのではないでしょうか。

      そういう状況下、価格が高くても市内業者を使うかどうかについては、昔に比べて一層悩ましい問題になってきていると思います。常に慎重な検討が加えられた上で、市内業者を使うか市外業者を使うかが決められなければなりません。

      その上で「今の職員の方々が理解していない」と思われる調達が行われているようであれば、調査・検討されなければなりません。

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  2. このたび示された考え方については,明確に異議を唱えたいと思います。

    理由は主として二つ。一つ目は,資源,つまり財源が限られているということ,従って限られた資源を効率的に使用することが(費用を負担する市民の側から)求められているということ。二つ目は,利益を自己の市の中に滞留させたいという考え方が,臼杵市のGDPを押し下げる方向に作用しはしないか,ということです(当然,この考え方は排外主義的な考えを,暗に前提としていますので,その点の是非もありますが,ここではそこまで述べません。)。

    >>多少高い買物になっても、臼杵市内に利益が残り、それが回りまわって市民の利益になる。その利益の方が大きいという考え方ができる範囲でしょう。
    では,市の外に出て行った我が市の富は,回り回って市民の利益にはならないのでしょうか?。

    一つ目です。端的にいって,資源,すなわち財源は限られています。とすると,市の行政経費を負担する市民の側としてみれば,可能な限り効率的な運用を,厳格に要求したいです。ただ,「なに」が「効率的」か? ということの定義については,なにがなんでも契約額が安くなければならない,ということだけは意味しないことには同意していただけると思います。ネットワークの発達により遠くのどこかと我が市とは近くなりましたが,それでも物理的距離はなにかしらがあったときの障害となります。この点,近くの,つまり市内の業者のほうがフットワークは軽いでしょうし,結果としてトータルコストが安いということもありえるでしょう。
    仮にトータルコストを考えずに,市内産業保護を目的とし,事実上の制度として市内業者に発注を集中させるとしたら,市民のために中立的であるべき市が,右業者以外の者の負担で,右業者だけに不公正な補助金を与えているに等しくなります。では,このような支出のために,市民に対し,徴税権を行使することが,市と市民との関係において,公正かつ妥当といえるでしょうかということが問題になるでしょう。

    人間なにかしらの強みがあります。皆が皆,みずからの強みを発揮するには,公正かつ自由な取引を行いうる環境を整備することが重要になるでしょう。そこでは,市当局には,市民にイニシアチブを取らせ,経済的には中立的な態度を有することが求められるでしょう。
    その過程の中では,既存産業にダメージを与えることもあるでしょう。しかしこのダメージを乗り越え,我が市の強みを生かした新たな産業を育成していかなければ,我が市に未来はありません。たしかに,既存産業を保護すれば,大量の失業者が出ることはほぼないでしょう。いろいろな問題を先送りできるでしょう。でも,あくまで先送りができるに過ぎません。いつかは問題に向き合わなければならなくなる。
    不公正な補助金は,この新陳代謝活性化のプロセスを遅延させる危険性があります。
    こと産業に対しては,この点,シビアに見守る必要があると考えます。

    二つ目です。現状,我が市で産出した資源のみで,我が市が単独かつ独立して,究極的地産地消を実現しうるかについては疑問を抱かずにはいられません。とすると,他者との交流を通じて,必要な資源を調達することが必要になります。
    それには先立つものが必要になります。
    この点,他所様に支払う経費を,ひょっとすると自分たちの利益にならない,純然たる費用じゃないかとみて,なるべくそのような支出を抑制しようとすることについては,慎重にあるべくと考えます。仮に,自分たちだけがそのように考えるだけならまだいい。でも自分たちがそのように考えているのだとしたら,他所様も同じように考えている公算が高いです。もし皆が同じ考えを実行したとしたら,国全体の取引が抑制され,周り巡って,臼杵市からサービス,物が出て行くことが抑制されかねません。つまりミクロ経済で正しいことが,マクロ経済でも妥当するとはかならずしも言えないのです。

    誰かの支出は誰かの収入です。自らが絞れば,誰かも絞り,その絞った先は,我々である危険性もあるのです。そうして差し引きをゼロにして,世界は回っているのだと,私は考えます。

    最後に,一番肝心なことが忘れられがちですが,我が市はあくまでも交付税交付金の交付を受ける市なのです。つまり他所様に流れ,誰かの収入となった,我が市にとって純然たる費用そのものが,取引の連鎖を引き起こし他所の経済を成長させ,その一部が税金として集められ,結果的に我が市にも分配されているのです。

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    1. 難しい問題ですね。

      公共事業などは、地元業者優先の仕組みの中で動いています。効率優先となれば、「強い」市外業者に太刀打ちできない可能性がありますね。

      また、文房具などの消耗品も地元業者から納入していると思います。大手の通販などから購入すれば安く買えるのは自明です。それでよいかとなればそうとはいえません。

      私はかつて「東九州自動車道」の建設には反対でした。国全体から見れば非効率な投資と考えたからです。しかし今は、地域が存続するための必要な最低限のインフラであると思っています。

      一部地域が栄え、国全体として豊かになることにつながることでも、貧しい地方が疲弊することはできるだけ避けなければなりません。貧しくとも心豊かに暮らすとはどういうことか。どうすればそれができるのか?

      今しばらく「地方交付税」を十分に頂きたいし、非効率であっても地元優先を考えたいと思うのです。

      しかし、残された時間はそう長くないかもしれません。Nagiさんのおっしゃるとおり、資源(財源)は限られています。これからは「非効率な調達を行う自治体には交付税を減額する」などと迫ってくるかもしれませんから。

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