2012年6月26日火曜日

市職員の親族が生活保護受給

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120625-OYO1T00632.htm?from=main1
(以下引用)

東大阪市職員30人の親族が生活保護受給

大阪府東大阪市の市職員30人の親や子、兄弟姉妹が生活保護を受給していることが、同市の調査でわかった。親族が生活保護を申請した際、市の照会に対して該当する職員の大半が「扶養できない」と回答したという。市は、「職員の収入は民間に比べて安定している」として、今後、家族構成や生活実態を聞き取るなど、改めて扶養能力の有無の確認を進める方針。

同市は昨年10月、全生活保護世帯について、受給が適正かどうかの確認作業を開始。先月、人気芸能人の扶養問題が注目されたこともあり、2親等以内に市職員がいる受給者を調べたところ、30世帯が該当した。申請で「公務員」とだけ記されたケースは勤務先などを調べておらず、さらに増える可能性があるという。

市によると、受給申請があった際に「扶養義務者の報告書」の提出を求め、報告書に記載された親族に、生活援助が可能かどうかを確認する「扶養照会」を行っている。市が、該当する職員に書面で確認し、仕送りを承諾した1人を除いて、いずれも扶養できないと回答した。年収などは他のケースと同様、聞き取っていないという。

同市では、今年3月現在、1万4206世帯、2万1116人が生活保護を受給し、10年前のほぼ2倍に膨れ上がっている。生活保護費は今年度の当初予算ベースで約365億円。このうち、4分の3を国、残りを市が負担している。

こうした状況を受け、同市では1月、野田義和市長を本部長とする生活保護行政適正化推進本部を設置し、関係部局の体制強化を図っている。市生活福祉室の担当者は「該当職員の収入だけでなく、生活実態などを面会などで聞き取り、扶養能力を確かめたい」としている。

(2012年6月25日 読売新聞)

-------引用ここまで

生活保護については以前書きました。
http://usuki.blogspot.jp/2011/06/blog-post_3550.html

親族に公務員がいるからといって生活保護を受けてはいけないとは言えません。しかし、市職員で2親等以内に生活保護受給者がいる30世帯のうち、仕送りを承諾したのがわずか一人だけという事実。一般的に安定した収入のある公務員世帯でこの状況です。

生活保護世帯の扶養義務者である親族についての扶養能力の把握が十分であるのかどうか、疑問を抱かざるを得ない報道です。ただ「扶養照会」については、扶養できないと回答されればそれ以上踏み込んでの調査などは現実できないのが実態。

「母子家庭といいながら内縁の夫が出入りしている」「実家から様々な援助を受けている」などの噂話は絶えません。

不正受給のことで市役所に伺ったときも「個人が特定されれば調査を進めることができるが、一般論として、生活保護行政を適正にと言われても制度にのっとって処理を行っている。」という主旨のやりとりをしたことがあります。

「生活保護」という制度自体が時代に合わなくなってきています。核家族化が進み、自分の家庭以外の家族世帯の面倒を見るという風潮が薄れてきています。また、生活保護をもらったもの勝ちという風潮も生まれています。

「ベーシックインカム」の導入も含め、真面目に働いている人たちが納得のできる大胆な制度見直しが望まれます。

2 件のコメント:

  1. 扶養義務という考え自体が時代に合わないと考えるべきです。

    我が国は個人を尊重し,自己責任のもと,個人は,原則として自由に活動できる国家です。とするならば,明治民法下における家制度の名残である一定親族間の扶養義務は,その建前と整合的ではない可能性があります。親兄弟だからといって,彼らは,本来的には,他人であるからして,他人について連帯して責任を負わせるなど,個人尊重の建前に反するのではないかと考えられるのです。

    人間は親や兄弟を選べません。なぜその人に帰責事由のないことについて,その人が責任を負わねばならないのでしょうか(扶養義務を負いたくなければ,第一義的に,扶養義務者が他人についてまで,生活保護レベルにまでならないよう責任を見ろということになる。そしてその責任を果たせなかったから,扶養義務を負え,ということになりはしないか。)。

    生活保護の問題は,我が国が抱える家族に関する問題をやや浮き彫りにしたのではないかと感じられます。我が国の(扶養義務等も含めた)家族像は,法制度としてどのようなものを理想とするのか。昔の理想と現実,とりわけ人々の意識とが大幅に乖離してしまった現在だからこそ,この点についてしっかりとした基本的な合意を得る必要があるように思えるのですが。

    つまり,個人の尊重を貫徹し,国民の生存権は国家が責任を負うのか,最終的に国家が責任を負うのかということです。最終的に国家がその責めを負う場合,その過程において,要保護者に一番近い誰かについて,どのような権利義務を設定するのか,その根拠は何かについて議論を要すると思われるのです。

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  2. 匿名さんのご指摘のとおり、現状の生活保護制度の問題点であると思います。

    しかしそれでは、自分の生活が苦しくても扶養義務を果たしている人が浮かばれません。

    この問題を根本的に解決するには「ベーシックインカム」の制度を導入するしかないと思われます。

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